今の日本の状況 と 遭難 について一考2011/02/17 19:38

山に登っていて怖いことに、自分のいる位置が分からなくなることがある。その他にも物理的に危険な場所を通過しているときなど、色々怖いことはあると思うが、「どこにいるのか分からない」というのは中々怖いものである。

若い頃ヤブ漕ぎをしていた頃、長野の山の中で同じところに3度ついてしまったことがある。方位磁針や地形図を見ながら進んでいたのに。現在は自信はないけれども、その当時は、1/25,000地形図に針先で自分の位置を示すことが出来る自信があった。
でも、迷った。

そのときは、まだまだ陽も高く、焦るような状況では客観的にはなかったので、とりあえず、小便をして、10分ほどその場に座って、ボーっとして、気を落ち着けた後に再度地形図を読み、歩き始めて、難を逃れた。
しかし、その経験は、その後の山登り、それに人生、色々な事柄に対する考え方に影響を及ぼしている。
頭では分かっていたことを、体験したからだ。
実感、実体験として、わかった。


そして、今思う。
日本はどこに進めばいいのか迷っているのではなく、今、どこにいるのかわからなくなっているのではないか、と。

我々はここにいる。そして、行くべき方向はこっちだ。

ということが、なんとなくわからなくなっている、そんな状況、空気なのだろう、と。

確かに生活は苦しい。でも世界には我々よりも苦しい国は沢山ある。でも先行きは暗い、といわれているし、この先望みのある苦しさではない、ということころが辛い。この苦しさより、先々のほうがより苦しい、と言うことであれば、逃げ出したい気持ちになる。何でこんなことになったんだろう。責任は誰かのせいにしたい。政治家のせいだ、役人のせいだ、大企業のせいだ、金持ちのせいだ…。

そんなところか。
発想としては、かなり非建設的、だよな。

で、その時々で、責任の所在と思える集団が変わるので、選挙のたびに民意が変わる、ように見える。
その実変わっていない。自分のせいではない、と思いたい。それが民意、のように思う。

近隣諸国から見れば、迷子、だろう。
助けるいわれはない。
搾取できるときに出来るだけむしりとるだけだろう。

なに。心配は要らない。相手はどこに居るのかも分かっていない迷子なのだ。隙だらけ。つつけばつついただけ、何か得るものはあるだろう。もともと、得るものなどなかったはずなんだから。それなら、乗じて、つついてみるのが吉、というものだ。

迷子のお友達は、困ったもんだなぁ、と思うだろう。むしりとり始めるわけにも行かないから。
でも、自分の利益に繋がらない限り、助けるいわれはないだろう。


はやく、自分は何者で、どこにいて、何をするべきで、どちらに向き、進んでいくのか、を判断し、遅れなく、実行する必要がある。
とにかく、失敗を恐れず、突き進むことだ。
迷って、逡巡するのが一番、悪、だろう。
小田原評定、だね。

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